2005年02月28日
その紙袋の中身は?!
今では大体の病院でもそうなのかもしれませんが、患者様やご家族の方からの、金品、折り菓子などの差し入れはお断りするのがあたりまえになっています。
そのように、張り紙をしてあったりもするのですが、「どうしても」と何度も持ってこられる場合や、数が余りにも多い場合には、返って失礼にあたるので、頂く場合もあります。
これは、以前働いていた病院の、日曜日に毎週行われる院長回診の時の出来事でした。
院長は全患者様の所へ回診にまわられます。日曜日で人手の足りない日にしなくてもいいのに、というナースの意見は通らず、回診には必ず、主任や婦長、その日のリーダーの誰かがつくようになっていました。
ある患者様の所に行ったときに、奥様がいらっしゃって、先生に耳打ちしながらお話をされていました。
私は廊下からその様子を見ていたのですが、帰り際になって、奥様は自分のバッグの中から、白い紙袋を取り出し、院長の白衣のポケットの中にするっと入れられたのです!
なんだ!?なんだ!?なんだ、いまのは!?
見逃さなかったぞ~、アレはお金だ!
それも10万や20万って分厚さじゃなかったぞ。少なくとも50万はあったなぁ、くぅ~~~~。
「院長せんせぇ~~いぃ、お待ちをぉ~~♪♪」
って胸ぴったりくっつけて背中から抱きしめたい衝動にかられたくらいでした。
「山分けよ♪院長せんせぇ~いぃ♪」ってね。
ま、そのあとも何もなにもなかったかのように、回診を続けていく院長。そして、自分のフロアーの回診が終わり、次のフロアーへいく院長の後ろ髪を勝手にひっぱりながら熱い視線を送っていたのですが、ちっとも気づきもせずに行ってしまわれたのです。
その事をあとで、婦長さんに報告すると
「そんなこと、よくある事よ」とすんなり言われてしまいました。
私は、院長になりたいくらいでした。
ってく、やっぱり、世の中は金かよ!

2005年02月27日
あなたに決めた!
学生の頃は
患者様の身の回りの整理整頓や、整容、看護師業務のメッセンジャー的な仕事が主でした。これは、まだ私が1年目の学生だった頃の話です。
入院患者様の中でも1、2を争うほどの大きな体のおばさんがいました。
誰が彼女の体を清拭(拭く事)するかをじゃんけんで決めたりしてたくらい、大変な方だったのです。それは、体も大きいからではなく、こうしろ、ああしろ、ここはこうして欲しい等と色々指図や注文が多いからでした。そんなある時、私がじゃんけんで負け、清拭する事になったのですが、なんと私はこの時が、初めてだったのです。今まで、当たった事がなかったから。
「初めまして、今日は私が体を拭かせて頂きますね」とまず、ご挨拶から行った。
『まぁ、見ないお顔ね、新人さん?』
「はい。まだ1年目なんです」
『そう、がんばってちょうだいね。お願いするわ』
と簡単な会話を交わしながら、整容を行っていました。
そして、田舎の話をされて、実家が同じだという事が分かり、話がぐんと盛り上がりました。
結構長居をしてしまって、楽しく整容させていただく事が出来たとおもいます。
そのときです。彼女が最後にこう言われたのでした。
『明日から、あなたがいる時は、あなたに毎回お願いするわ』と。

衝撃的な一言でした。
嬉しいような、そうでないような。。。。
複雑な心境でした。それから、彼女がよその病院へ転院するまでは、私が出勤している日は、私が彼女の清拭だけは担当するという事になってしまったのでした。
本当に、口は災いの元。。。いや、好かれたのだからいい事なんですがね、彼女の清拭の後は、他の仕事が出来ないくらい疲れるんですよね。いや~、ほんと参りましたよ。
まだ若かったから出来た事だったと思います。はい。
これもまた、いい思い出のひとつです。
2005年02月26日
最後にダンスでも。。。
90歳近いおばあ様で、脳腫瘍で入院されてる方がいらっしゃいました。
まだ意識はハッキリされていた頃に、おじい様がお見舞いに来られた時の笑顔を今も忘れずに覚えています。
二人の趣味は社交ダンスだったようで、おばあ様はおじい様にこうおっしゃいました。
「おじいさん、私が退院したら、あのダンスを踊りましょうね」
そういう二人を見つめ、少し目頭があつくなったのを覚えています。もうおばあ様は自分の力では立てない程に四肢の麻痺が進んでいたからです。
それから数日後におばあ様は急変され意識不明の状態に陥りました。
ほぼ植物人間の状態です。あとは、死を待つしかないのです。毎日体を拭きながら、意識が戻って欲しいなと思い声をかけていました。
『おじいさんと、ダンスを踊りますよ。○○さん』と。
そんなある日の事、おじい様が面会に来られてる姿がみえました。私はご挨拶だけをして、病室を後にしました。ある用事で近くを通り過ぎたときに、聞こえたのはおじい様の声でした。
「ばぁさん、最後にダンスでも如何かねぇ」
そういって、上半身を上げ、後ろから支える格好になりおばあ様の手を取って、ダンスを踊っておられました。それから数日後におばあ様は亡くなられたのですが、最後にダンスが踊れて良かったですねと、思いながら、私はおばあ様をお見送りしました。
このような最後を迎える方も居るんですね。色んな方の最後をお見送りしてきましたが、まだ看護師になりたての頃の出来事だったのでよく覚えています。
私も二人のような、同じ趣味を楽しみ合って生きていけるパートナーが見つかるといいなぁと思います。はい、私、独身ですので、立候補はじゃんじゃんお待ちしています。
ではまた明日、お会いしましょう♪
2005年02月25日
何故か整形外科の新人Drはモテるらしい。。
どうしてかは分かりませんが、整形の新人ドクターが来ると、ドクター好きなナース達は、私こそがと次々に声をかける。
またこれが、いい男が揃ってるんだよね。
たいてい、1~2人のナースと関係をもち、付き合っては1年も経たぬうちに移動を言われ、そのまま関係が終わってしまうか、後を追ってナースが辞めていくか、の2パターンがあたりまえのコースになっている。もちろん、そんな事の繰り返しなので、ドクターの先輩・後輩の関係から、兄弟へと発展する場合もそう多くは無い。
私は、まったくドクターには興味が無いので、食事に行ったことさえない。というか、はっきり言うと、誘われた事が無い!無いぞ!!マジでないねん!なんで?!
って、そんな事はおいておいて、これって、うちの病院だけかと思ったら、案外よその病院でもそうだったりするらしいのよね。
だから、もし、ドクターになるなら、整形外科医を目指せばいい。
でも、元が元なら、結果は見えてますけどね。
ナースの方は、あまり下品に男探しをしてないで、もっと勉強なさい。
そういう人に限って、ナイスバディが売りの能無しだったりするのよね。って、すみません。ナイスバディでも、美人でも、可愛くも無くて。ごめんなさいね!
次は、どの科のドクターがねらい目なのかの特集でも、作りたいと思います(笑)
2005年02月24日
家は駅の中。。って
まず、入院される場合は、看護師は必ず患者様の所へ行き、アナムネーゼ聴取といって、問診を行います。
内容は、入院に至った経過から、今までの病歴、現病歴、家族構成から身長体重その他もろもろ、、後はバイタルサインといって、脈、呼吸数、血圧、熱等を測ります。
時々、家族構成でややこしい家族の方もいて、
「上に兄貴が一人いるが、居ないようなものだから書かなくていい」とか
「母親は今は居ない。」
「そこまで詳しく何故話さないといけない?」
といわれる場合なんかは、それ以上は聞かない場合もあります。
中でも、住所というか、とりあえず連絡先を聞きたい場合、
「隣の○○さん」とか「大家の○○さん」とかならまだしも「わしにはもう誰も近寄らん!」等と言いながら、長々と事情を話される方もいたりしますし、逆にあっさりと
「私の住んでる所ですか?」
『はい、そうです。住所をお願いします』と尋ねると
「あの二条駅の階段の下や」
『え?』
「二条駅知らんのか?」
『あの二条駅ですか?』
「そうや、そこの階段の下で暮らしてるわ。中々住み心地はええぞ~」
『そ、そうですか(住所不定っと、、、φ(.. ))』
というやりとりもあったりします。
当たり前かのようにはっきり言われると、すっきりしますわ。一応、住所不定(二条駅の階段の下)って記入しますけどね(笑)
アナムネーゼ聴取も時間がかかる人と早い人とに別れるので、当たり外れがあります(笑)その後で、院内のご案内や、食事や入院にあたっての注意事項を説明しないといけないので、これが夜中の入院だと、よく話される方に当たったら、こちらが参ってしまいそうになります。
もし、入院される事があった場合に困らないように、今のうちから、事を短的に答えられるよう、いつでも準備しておいて下さい。宜しくお願い致します。
2005年02月23日
夜中に徘徊する棟梁って?
70代前半、男子、脳梗塞発作にて救急搬入された方です。
この方は、運良く、四肢や体には麻痺は残らなかったのですが、後遺症として、痴呆を発症してしまいました。
いままでは、現役でバリバリに大工さんとして働いていた方だったのですが、痴呆症となり時間や場所の認知などの失見当障害が起こってしまったのです。
夜中にここが何処なのか分からなくなり、何故病院にいるのかも理解出来ず、徘徊する。
この方はいつも
『角材を探してくるわ』
と言っては、病棟内をウロウロされるので、いつも私は
「棟梁、今日は、雨が降ってますので、出発はもう少し遅らせてから行きましょうよ」と声をかける。そうすると『おお、そうか、ならもう少し待ってみよか』と、部屋まで案内し、ベッドへ寝かせると決まってキスをおねだりしてくるエロじじぃでもありましたが、憎めない存在でした。
私はいつも彼の事を「棟梁」と呼んでいました。
急性期の治療が終わると、慢性期では、四肢のリハビリ等は必要の無い方なので、言語療法を少し受け、退院される事になったと思います。
決まって、夜中の3時頃に角材を探しに行く棟梁の事を今でもよく覚えています。若い子にはキスをおねだりし、手にキスされたこともありました。
痴呆があって、これから介護されるご家族の方には大変な事でしょうが、どうぞ長生きして欲しい患者様の一人であります。
棟梁!元気にしてますかい?!
2005年02月22日
来るもの拒まずの病院とは?!
うちの病院は、脳神経外科主体の救急指定病院でした。
なので、真夜中であろうと救急搬入される患者様の数はすごいものがありました。なんせ、来るものは拒まずですから。電話がかかってくれば、空きベッドがなくとも救急をとり、入院になろうものなら、9床の大部屋を10床にしたり、ストレッチャーで強引にICUへの入院にしたりなど、むちゃくちゃな事をしていました。
何故、そこまでこだわるかは、まず、救急で患者を受けると、救急でのお金が加算されて受診費が取れるからです。もし、自分の病院で見れない範囲であれば、他の病院を紹介すればいいだけですからねぇ。本気でそんな事をやってのける、すごい病院でしたが、何故か、患者さんからのうけはよく、入院患者さんのベッド待ちは数多かったです。
まぁ、院長の腕が良かったというのが、決め手なのでしょうが、やっている事はすごいものがありました。はい。てか、
『入床者数が2~3人くらいは増えても、ちゃんと対応しろ』
という、院長の言葉が、「あんた、すげー、金の亡者だよ!」と思わせた一言でした。
今でも、相変わらず、同じような事がされてるそうです。
救急車で運ばれる時は、気をつけろ!!
まずは、主治医がいればその病院へ。主治医がいなくても、あの病院へは運ばれないように。
祈ってるよ!
2005年02月21日
アンジュのプロフィール
看護士 暦13年。30代。独身。
趣味
・映画、音楽鑑賞(特に邦画、J・POPSを好む)
・空想
・散歩
・人間観察
性格
・完全なネガティブな内罰型・こだわり屋
・典型的なAB型気質
・典型的なたぬき(動物占い)
特徴
・とにかく丸い(謎)・恋人の前では猫っかぶり
・時間があれば転寝をする
・妻夫木聡に異様に反応する
看護婦になった経緯
私が子供の頃は、今とは考えられないほど、進学や就職に対しての焦りなどありませんでした。当り前のように近くの小学、中学、高校へと進学をして行った。「お受験」なんて言葉とは無縁だったのです。小学生で塾なんて、そろばんか書道かピアノくらいなもので、進学塾自体が存在しなかった。
それほどの田舎に住んでいたとも言えるが・・。
今の小学生のような生活では、私、きっと絶えられないわ~(TロT)
高校に進学して、さぁ、就職となった時に考えた事は一つだけ。
「手に職をつける!」
でした。
そして、はやく自立して、女性でも定年まで働ける職業であること。自分を生かせる職業である事。選択肢は2つだけ、それは美容師か看護師だった。
私は後者の看護師をそういった理由で選択し、とある市内の病院に就職する事になった。それから、働きながら学校へ行く準看護師の学校を受験し見事合格。そして、看護師への道が切り開かれました。
今の子達は、どのような選択理由で就職先を選んでいるのだろうか。
私から見れば、全員が総理大臣にでもなるかの勢いで勉学に励んでる気もするのですが?
私だけ?
さて、これからは、私が今までに体験してきた、様々な事件簿を、公開して行くつもりですが、私の素性が分かっても、決して指差し笑わないように!
2005年02月16日
お問い合わせ
投稿者 アンジュ : 14:37
2005年02月15日
運営者の紹介
執筆担当

アンジュ (プロフィール)
このアイコンは似顔絵イラストメーカーで作成したものです。
システム担当
有限会社AbiStudio.com有限会社AbiStudio.com概要
事務所:兵庫県明石市業務内容:インターネット広告・プロモーション等
投稿者 アンジュ : 11:17
