- ホーム
- 看護・介護の本音話
2005年09月14日
口腔清拭について
口腔清拭は、食物残渣や舌苔・痰の除去、また、舌・粘膜・歯肉の清拭をすることで口腔機能を覚醒させ、唾液の分泌を促し、発語や摂食・嚥下機能の向上を図る事ができます。
口腔清拭を行う事はコミュニケーションや心のふれ合いを大切にする上で、必要かと思いますし、患者さんの健康状態を知る上でも、口腔清拭に関わらずに整容をする事は、看護・介護では必要不可欠なことです。
私の勤めていた所では、綿棒にガーゼを巻き、イソジンガーグル液を含ませて、口腔内全体をこする様に清拭していました。舌の上等に苔が付着している方に関しては、歯ブラシを用意して頂き、歯ブラシでこすったりもしていましたが、あまり強くこすりすぎてもいけませんので、そういう方には、マメに口腔清拭をするように心がけていました。
ケアする側の意識として、そういったケアを決められた通りにするだけでなく、必要だと思えば、それ以外でもケアする事は大切な事かと私は思います。
まして、意識の無い方へのケアは、ご自分では出来ないので、看護・介護側が、しっかり観察してケアする事が大切だと思います。
2005年08月09日
バイタルサインとは
バイタルサインとは、人間の生命の基本的な徴候のことで、一般的には、脈拍、呼吸、体温に血圧を加えた4つの徴候をさすます。
バイタル(生きている)サイン(兆候)は生命維持を指し示す徴候であるといわれ正確なバイタルサインの把握はきわめて重要で、ことに救命救急や救急疾患では、進行度や重症度、あるいは治療効果の反応度を判定するために、頻回の測定が不可避となります。通常生きている場合は心臓が鼓動して、血圧が保たれ、呼吸し、体温を維持し、意識状態に応じ特定の脳反射パターンを示します。これらを正確に測定することがバイタルサインを取るということになり医療の現場では重要視されています。
正常な体温は、年齢差、個人差、行動差等の個人の状態によって変わってきます。また、体温は一日の内で午前4~6時頃がもっとも低く午後2~7時頃がもっとも高くなる。その差はだいたい1℃以内であるのが正常です。成人で(腋窩:36~37℃)。ちなみに直腸は、腋窩より0.5℃高く、口腔は両者の中間です。測定部位が発汗しているときは、乾いたタオルで拭いてから測定しましょう。左右の温度さがある場合は、つねに同一側で測定する。また、麻痺のある場合、健側で測定する。
全身の動脈で拍動として触知できる脈波をいいます。脈拍を知ることにより、心臓の心拍数を数えることができます。健康であれば、規則正しいリズムですが、激しい運動や、精神的興奮、入浴等によって体温の上昇とともに、脈拍数が、増加します。
老人:60~70回/分
成人:60~80回/分
思春期:70~80回/分
学童時:80~90回/分
乳児:120前後回/分
新生児:130~140回/分
と、定義されています。
呼吸は、生体が体内に酸素を取り入れたり、体内での代謝で生じた炭酸ガスを排出することです。
成人:16~20回/分
学童:20~25回/分
幼児:20~35回/分(胸式呼吸)
乳児:30~40回/分(腹式呼吸)
新生児:40~50回/分
と、定義されています。
呼吸は意識的に止めることができる為、患者に気づかれないように測定して下さい。(脈拍を測定しているふりをして、呼吸を測定するなど)そして、なるべく1分間の値を測定するようにしましょう。
心臓の血液を押し出す拍出力が血管壁に及ぼす圧力をいいます。体位や年齢、食事、運動等により血圧の変化が生じ、また、飲酒、入浴によっても変化します。
最高血圧(収縮期) 最低血圧(拡張期)
新生児:80 ~60 60
乳 児:90 ~ 80 60
幼 児:100 ~ 90 60 ~ 65
学 童:120 ~ 100 60 ~ 70
成 人:130 ~ 110 60 ~ 90
と、定義されています。
以上が、バイタルサインの値になります。人間の呼吸、脈拍、意識、血圧、保温状態などは、緊急時医療における生死の判別をする目安となりますので、測定するのはナースや医師になると思いますが、今は自宅でも血圧を測ったりされる方もいらっしゃるので、一度目安を書いておこうと思いました。
私は、癖でよく自分の脈や血管を触ってしまうのですが、自分の平均値くらいは知っておいた方がいいかもしれないですね。
2005年04月29日
「死」を見つめる
高齢社会の進展とともに、誰れもが避けて通れない「老いと死という問題」が、私達の身近な問題となりつつあります。
人生観、死生観自体は、個人差があり、多様性があります。こうあるべきだと画一論を展開することはナンセンスである。
しかし、痛みや苦しみの中で年を重ね、死を迎えるよりは、おだやかに老いと死を迎えたいと願うことは心情でしょう。実情は別としても、最後は家で死にたいと考えている人は少なくはない。高齢社会の到来は、私達を否応なしに「老いること、死ぬということ」を直視せざるをえない状況に追い込まれていきます。
死ぬこと、生きることを考えるには、いくつかの重要な論点があります。
キュブラー・ロスという精神医学者は、死にゆく人々との対話を通し、彼らが語った苦悩、期待、葛藤などについて「On Death And Dying(邦題:死ぬ瞬間)」という本にまとめ、治癒困難ながん患者が宣告を受け、又は自覚をしてから死に至るまでの心理過程には、五つの過程があると述べている。そのチャートによれば、第一段階は疾患を知ったことによるショックの直後にやってくる「否認」、第二段階は「怒り・憤り」、第三段階は手術、痛み、死を少しでも先送りしようとする「取り引き」、第四段階は「抑鬱」、そして第五段階が「受容」であるとしている。多くの患者は、外からの助けを受けることもなく、抑鬱の段階を経て最終的受容の段階に至るが、そうでない人々は、これらの段階を通過して平安と威厳のうちに死んでいくために、他からの助力が必要であったと書いている。多くの死に至る闘病記には、「寄せては返す波のような心の揺れ動きを経て死を受容するに至った経緯」が記されている。キュブラー・ロスのチャートが全ての人の心理過程に当てはまるかどうかはわからない。
しかし、死にゆく人々の心理過程を理解し、死にゆく人々の心理負担を軽減する精神的ケアの尺度として、このチャートの意義は大きい。
死ぬこととは生きられなくなることであって、「死」を語ることは「生」を語ることにつながります。でも、私達は、理屈のうえでは「死」を理解し、語ることができたとしても、それを自分のこととして受容することはきわめて難しいと考えられるが、誰もが与えられた運命の一つであり、それを避けることは出来ない。
それ故に、私達は、今日を、今を生きているという事を、忘れてはならないと思います。
参考文献:
NPO「末期患者のターミナルケアを実現するために」
2005年04月15日
お風呂嫌い
お年寄りになると、我侭にも磨きがかかってきますね。今日、私は、それを身をもって体験しました。というか、その現場を見ただけだけど。
超お風呂嫌いなおばあ様がいらっしゃるのですが、ご家族の希望は、なるべくなら入浴してきて欲しいとの事。毎日、私たちは、頭を使って、色んな技を使って、手を変え品を変え、お風呂に何とか入って貰おうと工夫します。
以前私は、もうすぐご飯の時間なので、一緒にご飯を取りに行くのを手伝って下さいと言って連れ出し、浴室まで行き、その後は、もう強引に服を脱いで貰い、お風呂に入って貰いました。
でも、案外、入った後はすっきりされていて「気持ちよかったわ~」とかっていう言葉も聞かれたりするんですよ。
今日の介護士さんは、パートさんでまだ慣れて居なかったのでしょうね。
思いっきり「○○さん、お風呂に行きましょうか」と言っていましたから。
「いらん!」の一言で返されていましたが、声かけ次第で、浴室まで行く時があるよ、と、その介護士さんに言うと、「分りました!」と言って、私が言ったそのままで、そのおばあ様を誘っておられましたが、「あんた、さっきお風呂って言ってたじゃない」と言い返されていました。
そういう事はよく覚えているようですね。
何とか、案内係を変えて、浴室まで連れて行かれたのですが、「お風呂じゃない!」と、かなりお怒りになられたようで、着替えの洋服を撒き散らし、床でバタバタとしだしたようで、助けを求められました。
一旦外に出て、台所へ行き、コップを洗って、お茶をくみ、
「お茶を持って行かないといけないんですけど、手伝って下さい」とお願いして。今度は、廊下を回り道してお茶を持ちながら浴室に行って、『お風呂に入った後で飲みましょうね』というと、素直に「はい」といって、服を脱ぎだしました。
今回は、成功です!!
ナ~イス♪ アンジュさん!!
大きな大人一人お風呂に入れるにも、私たちは苦労しているのですよ。
2005年03月05日
なんちゃって手話
看護学生の頃に興味を持った手話を、独学で勉強した時期がありました。
でも、手話って、世界共通ではないのですよね。日本は日本独自の手話なんです。
この独学で覚えた手話ですが、看護師をしていて、何度か役にたったこともあるんですよ。
今ではすっかり、年と共に忘れてしまったので挨拶程度しか出来ないと思いますけど。
ある時、手話で話をされる患者様がいらしゃったのですが、ナースコールが鳴ると、呼ばれるのはいつも私でした。
「ほら、担当の方がお呼びよ」
って、担当でもなんでもないんですけどね、ただみんな手話が出来ないのと、筆談だと時間もかかるし面倒って気持ちがあったんでしょうね。本当は、そんな気持ちをもっちゃいけないんですけど、まぁ、私が何とか手話で会話が出来てたので、私が出勤している時は、私が担当のようになっていました。
その方は、子供の頃の熱病で聴力を無くされたようで、声を出しながらの手話だったのでちゃんっと聞き取れたし、話もし易かったんですよ。
その方のおかげで、私の独学の手話も上達していったんですがね。使わなくなると、忘れちゃうものですね。あんなに教わったのになぁ、バカなアンジュでございます。
退院される時、その方は、私をこっそり呼び出し、
「お礼がしたい」
そう言って、手話を使わずに、歌をプレゼントして下さいました。
耳の聞こえない方にとって、音程をとるのは大変難しい事なんですが、すごく上手に歌ってられました。
プレゼントされた曲は、『ふるさと』という曲です。
私は、嬉しさのあまり泣いてしまったのですが、今でも、その『ふるさと』という曲をきくと、彼女の事を思いだします。
いい話だなぁ~。。。
